大御所俳優イ スンジェ。
“国民的ハラボジ(おじいさん)俳優”として愛され続けるその姿。
90歳の現在もカメラの前に立ち、最前線で輝いている方、韓国映画・黎明期を歩まれたきた方です。
若い頃の情熱から今なお輝く姿まで――「イサン」「馬医」で韓国ドラマ史を築いた名優イスンジェ。
その歩みには、時代を超えて人を惹きつける“生きる物語”があります。
是非最後までご覧ください
「この方がいなかったら 韓国時代劇は成りたたなかった」
私はそう思ってます。
「本来ならば大先生、と、敬称でお呼びしないといけない方です。
あえて、「先生」「様」を抜いてフルネームで書かせていただきます。
「私の無礼をお許しください」。。と、
何故か一言許可をいただかないと落ち着きません。。
では、
フルネームで呼ばせていただきます!
イ スンジェ若い頃・俳優を志した哲学青年時代
ソウル大学哲学科から俳優へ
イスンジェが俳優を志したのは、ソウル大学の哲学科に在学中のときでした。
なんと最初は「演劇ってなんかカッコいいな」くらいの軽い気持ちからだったそうです(笑)。
”生放送時代”の伝説
大学演劇部を再建して舞台に立ち、学生俳優として脚光を浴びました。
1950年代後半はテレビ黎明期。生放送の時代で、撮り直しもできない緊張感の中で演じていました。
「電話のベルが鳴るのに受話器がない!」という伝説的エピソードも残っています。
当時は俳優という職業が社会的に軽んじられていた時代だったそうです。
「愛がなんだって」で57歳のブレイク
それでも「演技は芸術だ」と信じ、家族からお小遣いをもらいながら夢を追い続けたイスンジェ。
1991年のドラマ『愛がなんだって』でブレイクしました。
57歳で国民的お父さんの座を獲得したのです。
努力は報われることを魅せてくれました。
イスンジェ妻と家族 支え合いの60年
妻・チェヒジョンと運命的な出会い
イスンジェは32歳のとき、彼の人生を根底から温める女性に出会いました。
チェヒジョンさんです。梨花女子大学で舞踊を学んでいたお嬢さんでした。
出会いは偶然のようで、運命のようでした。
イスンジェがが教えていた女子高の生徒にヒジョンさんの妹がおり、
「妹をよろしくお願いします」と挨拶に来た瞬間、イスンジェが一目で心を奪われたそうです。
「それまでの人生で、あんなに心が動いたのは初めてだった」と後に語っていました。
彼女は海外巡演を控えるほどの有望な舞踊家だったそう。
けれど海外へ発つ前に届いたのは、イスンジェの直筆の手紙。
「あなたが帰る場所を作りたい」
(聞いててこっちが照れてしまいます)
直接的な愛の告白ではない。
けれど、心にから伝えた精一杯の愛の言葉
チェヒジョンさんはその誠実さに心を揺さぶられ、結婚を決めました。
LINEもインスタもない時代。。。
ただ一通の手紙が二人の人生を変えたのです。
素敵ですね。
結婚後、彼女は惜しまれつつも舞踊の道を退き、俳優の夫を支える側にたちます。
貧しい新婚時代と「2坪の餃子屋」エピソード
生活が苦しく、息子の1歳の誕生日に贈られた金の指輪を売って資金にし、わずか2坪の餃子屋(マンドゥ屋)を始めたといいます。
それでも彼女は愚痴一つ言わず、家計を守り続けたそうです。
一方のイスンジェは「俺は演技一本で生きる」と決め、数回店を手伝っただけだったとか。
当時の夫婦の形としては不自然ではないです。
新婚時代家に帰ったのは1年で1週間の「超多忙」
新婚生活は決して華やかではありません。
俳優という仕事で収入が安定せず、舞台がなければ収入ゼロの日々もありました。
一日中撮影してるという忙しい時間を過ごしていました。
「ユキズのオンザブロック」では、
1960年代~70年代の映画を観ていると、イスンジェがでていない、作品がない、とMCのユキズは語っています。
「一日3編撮影されたのですか?」と尋ねると
「一日4編の日もあった。朝、撮影し、昼食べて撮影、夕方撮影、夜も撮ったよ」
そのため、1年の間に家に居れた時間が1週間だったと言っています。
「子供たちも父親の顔がわからなかったよ」
苦笑しながらインタビューで振り返っています。
それがまた二人らしい、真っ直ぐな愛の形なのでしょう。
努力の甲斐あって、夫婦は6年後に念願の200坪の建物を購入しています。
チェヒジョンさんは
「成功する人の妻は、陰にいなければならない」と信じて貫いたそうです。
奥さんの姿勢はまさに“内助の功”。
長年の結婚生活を経ても、夫婦の絆は変わりません。
新しいドラマの台本が届くと、今でも一緒にセリフを読み合い、発音を確認するそうですよ。
誰もが「イ スンジェ先生」と敬意を込めて呼ぶ背景には、このひとりの女性の支えがあったのですね。
華やかな舞台から潔く退いた妻の静かな覚悟が、今の名優イスンジェを作ったと言えます。
おじいさんたちが海外旅行をするリアリティ番組『花よりおじいさん』で共演者が妻におみやげを買うシーンなどがありました。
しかし、スンジェさんはお土産を買う姿を見せていませんでした。
常に、一行の先頭に立って前進あるのみ!
道を間違っていても後ろを一切振り返らず無言で歩き続ける姿が印象的でした。
我が道をまっすぐです。
イ スンジェ息子・娘たちと家族の今
公式な情報によると、イスンジェには息子2人、娘1人の3人の子供がいます
イスンジェの息子やイスンジェの娘の名前、職業、性格といった詳細な個人情報は、一般人であるため公開されていません。
メディアでもプライバシーを尊重しているため、家族の詳細についての具体的な報道はほとんどみられませんでした。
家族の守ることは、プライバシーを守ること、夫として父としてのイスンジェの強い意思を感じるのは私だけでしょうか、
イスンジェ学歴と知性 哲学が育てた“俳優の軸”
ソウル大学哲学科の 知性派俳優
イスンジェはソウル大学哲学科を卒業されました。
“知性派俳優”なのです。
大学時代には演劇の理論を学びながらも、「演技も人生も哲学だ」という信念を持っていました。
教授としての学生への思い
後に大学教授として教壇にも立ち、自ら演技の基礎を教えてきたのも納得します。
また、イスンジェの言葉のひとつひとつも、意味があって、深いのも、わかりますね。
イスンジェのプロフィール経歴
プロフィール
本名:イ・スンジェ(이 순 재)
生年月日:1934年11月16日(戸籍上は1935年)
出身:咸鏡北道会寧郡(現・北朝鮮)
身長:165cm
血液型:A型
学歴:ソウル大学哲学科卒業
家族:妻、息子2人、娘1人
イスンジェの経歴
1956年、大学3年生で俳優デビュー。
テレビドラマ黎明期から出演し、300本以上の作品に携わってきました。
国会議員時代も!
1992年、イスンジェは俳優としての長年の経験を生かし、社会への貢献を目指して国政に挑戦しています。
芸術・文化分野の改善に力を入れたいという思いから無所属で出馬し、見事当選。
国会議員として一期活動。
韓国メディアNate Newsが、政治の世界は想像以上に複雑で「自分には合わなかった」と語っていたと報じていました。
これを聞いて私も思わず笑ってしまいました。
俳優として人の心を動かすほうが性に合っていたのでしょうね。
この経験を経て、再び俳優業に専念することを決め、国民的な“人生俳優”としての地位を確立していきました。
俳優を選んでくださってありがとうございます!
イスンジェドラマ代表作と出演ドラマ(時代劇から現代劇まで)
「ホジュン」「イサン」「馬医」韓国史劇の礎
『馬医』(2012〜2013年/MBC)
庶民出身の医師を導く師イ・ミョンファン役で登場。人徳と威厳を兼ね備えた医官を熱演しました。
『王女の男』(2011年/KBS)
スンユの祖父役として、悲劇の運命を見守る賢人を好演。
『不滅のイ・スンシン』(2004〜2005年/KBS)
李舜臣将軍を支える忠臣イ・ファン役。混乱の時代を知性と義で支えた重鎮。
『名家の娘ソヒ』(2004〜2005年/SBS)
家族の誇りと伝統を守る家父長役。庶民的で温かい家長像が描かれています。
『張禧嬪(チャン・ヒビン)』(2002〜2003年/KBS)
学者ソン・シヨル役。王権に翻弄されながらも信念を貫く儒者を演じました。
『野人時代』(2002〜2003年/SBS)
独立運動期の重鎮を熱演。正義感と責任感あふれる長老を存在感たっぷりに表現。
『ホジュン〜宮廷医官への道〜』(1999年/MBC)
主人公ホ・ジュンの師ユ・ウィテ役。史劇の礎を築いた代表的な医師像。
『土地』(1974年/KBS)
初期の長編時代劇で、名門家の長男を重厚に演じ、俳優人生の土台となった作品です。
イスンジェといえば、やっぱり『イ・サン』の英祖(ヨンジョ)役。
あの渋さ、あのまなざし!まさに“王そのもの”です。

放送後地方にいくと「王様」と呼ばれ、
「王様のお出まし」と地元住民から温かくまた恭しく迎えてもらうようになったとイスンジェは言っています。
『ホジュン〜宮廷医官への道〜』(1999年)では65歳にして師匠ユ・ウィテ役を熱演し、韓国ドラマ史に残る名シーンを生み出しました。
『馬医』(2012年)でも再び医師役を演じ、医療史劇の生き証人としてファンを唸らせました。
この3作は今では考えられないほどの視聴率を叩き出しています。
『イ・サン』の最高視聴率は38.9%。
『ホジュン〜宮廷医官への道〜』では、63.7%を記録。
『馬医』の最高視聴率は第37話で23.7%をマークしました。
いずれも全国世帯平均/ニールセンコリア調べです。
『ホジュン〜宮廷医官への道〜』は1999年の放送なので、まだテレビが一家に1台の時代。
お茶の間に家族が集まって『ホジュン』を見ていたのでしょう。
国民のほとんどが視聴していたことになります。
私も初めてイスンジェを観たのが「ホジュン」です。
イスンジェが扮する師匠役に涙。。
最近また、地上波でも再放送をしています。
「チャングム」の前進がホジュン。
まさに韓ドラの原点です。
古典的名作としてお薦めです。
「思いっきりハイキック!」で若者世代にも人気
『シークレット・ファミリー』(2023年/tvN・Disney+)
家族とスパイ活動が交錯するブラックコメディ。クォン・ウンス役で渋い存在感を放ちました。
『アゲイン・マイ・ライフ~巨悪に挑む検事~』(2022年/SBS)
主人公ヒウの師であり“不動産競売の神”。冷静で賢明な助言者役が印象的です。
『ドドソソララソ』(2020年/Netflix・KBS2)
心優しい祖父キム・マンボク役。温かく見守る存在として世代を超えた癒しを届けています。
『カネの花~愛を閉ざした男~』(2017〜2018年/MBC)
財閥グループの名誉会長チャン・グクファン役。重厚な演技で物語に深みを与えました。
『花じいさん捜査隊』(2014年/tvN)
高齢刑事たちが挑む痛快ミステリー。ユーモアと人情が交錯する大人のヒューマンドラマ。
『思いっきりハイキック!』(2006〜2007年/MBC)
コメディの代表作はやはり『思いっきりハイキック!』です。
厳格なイメージをぶち壊し、「ツンデレおじいちゃん」として再ブレイクしました。

お茶の間を爆笑と涙で包み大ヒットした名作です。
イメージを変えて、親しみやすいとイスンジェが大好きになった、若い世代も多いです。
最新作「犬の声」で90歳の大賞受賞
『犬の声(ケソリ)』(2024年/KBS2)
2024年KBS演技大賞で大賞(最高賞)を受賞。
90歳での受賞はKBS史上最高齢記録。
劇中では、国民俳優スンジェ役として警察犬ソフィと共に事件を解決する姿を演じ、深みとユーモアが評価されました。
さらに同作でベストカップル賞(共演犬のソフィとともに)も受賞しています。
イスンジェの現在と活動|90歳でも現役俳優
「リア王」3時間超の舞台で見せた集中力
90歳を迎えた今でも舞台に立つその姿、そのバイタリティーの多くの人が驚かせます。
2023年には『リア王』を演じ、88歳とは思えない迫力で観客を圧倒しました。
「ユキズのオンザブロック」に出演した際は
その演じたリア王のセリフを全て、正確に再現してくれました
70年ぶりにファンクラブ結成!会長はハジウォン
イスンジェのファンクラブの会長はハジウォンです。
「一番素敵な俳優に私の心の中にはイスンジェ先生がいます」と語るくら
大ファンなのです。
「しんどい場面があってもけして現場では顔にだしたりしない。
こちらがついていけないくらいエネルギーに満ちている」と賞賛。
一度上手くできなくて落ち込んだ時
「何をいってるんだ、私だってまだ難しい」
とおっしゃた言葉が忘れられなく、それから
「作品ごとに思いだし一生懸命やろうとしてます」と語っていた。
自ら会長に名乗りでたのでした(^-^)
「3無」の哲学と俳優としての信念
イスンジェは「3無」俳優と言われています。3無とは?
NGが無い
「しんどい」が無い
「適当」が無いと言われます。
NGがないのが若い頃から有名は俳優です。
共演したハジウォンも「NGをだしたのを見たことない」と言ってます。
イスンジェは「NGがないのは自尊心」とおっしゃいました。
現場で多くのひとが集まっている。セリフを間違えるとみんなを待たせることになるので、そう努力をしてらっしゃるのでした。
イスンジェの受賞歴とエピソード|KBS演技大賞“史上最高齢”の感動
「犬の声」での大賞受賞
授賞式では「長生きしていると、たまにはいいこともある」と語り、
全国の視聴者を感動させました。
MBC演技大賞で功労賞(特別功労賞)を受賞。
『ホジュン〜宮廷医官への道〜』(1999年/MBC)
イスンジェは主人公ホ・ジュンの師ユ・ウィテを演じ、人間味あふれる名演で高い評価を得ました。
放送当時の最高視聴率は63.7%を記録し、彼の代表的な時代劇として現在も語り継がれています。
この2つの作品は、イスンジェの“人生の前半と後半”を象徴する受賞作であり、約25年の時を経て再び“国民的俳優”としての存在感を証明しました。
もちろん、他にも多数の受賞歴があり、イスンジェは1950年代のテレビ草創期から2020年代の現代ドラマまで受賞歴が途切れない俳優とされています。
感動のコメントとファンの声
KBS演技大賞を受賞したスピーチではこう話してます。
大学では教授として教壇に立っているイスンジェ。かれこれ13年間、学生の演技指導にあたっています。
指導はマンツーマンで1年かけて、期末発表をします。
しかし、「犬の声」の撮影で6カ月も指導ができなかったのでした。
学生たちに
「申し訳なかった。私は教授失格だ」
と、すると学生達は、
「先生ちゃんと教えてとおりにしますから、安心して撮影にいってください」と明るく気持ちよく送ってくれたのだそうです。
それが、あまりにも嬉しくて、申し訳なさと嬉しさで、「ありがたかった・・」と胸を詰まらせて、涙を流されました。
会場の多くの俳優も一緒に泣いていました。
テレビを見ていた韓国の観客からは
と声が寄せられました。
まとめ
戦争を経験し、数多くの苦難を乗り越え、韓国映画の黎明期を築いた俳優イスンジェ
この方の演技とドラマで育った方がどれだけいるでしょう、
この方がいなかったら、時代劇は成り立たない。
私もその一人で、イスンジェの演技をみて呼吸してきた一人です。
イスンジェの言葉、イントネーションに安らぎと温かさを感じるのです。
どんなときでも「観てくれる人」お客を第一に考える姿勢には学びます。
「もう幾つだから」とけしていいません。
言い訳だからです。
どうかお元気でいてくだい。
イスンジェ俳優!まだまだこれからも教えてください
また元気な姿で私たちに「人生」を魅せてください!


コメント