イ バンウォン評価 嫌い?人物像をわかりやすく。六龍が飛ぶ

韓国時代劇

イバンウォンの評価は分かれます。「好き」か「嫌い」もしくは「怖い」

ドラマ「六龍が飛ぶ」は「6人の龍」が主人公ですが、ストーリーメインはイバンウォンの生い立ち、若き時代のお話しです。実在するイバンウォン。その史実とは?「六龍が飛ぶ」では絶妙なバランスで描いています。

イバンウォンはけして「いい人」ではありません、主人公なのにむしろ嫌いな人は多いです。何故イバンウォンは嫌がられるのでしょう。。。

イバンウォンの評価「六龍が飛ぶ」ムヒュル、プ二、

「六龍が飛ぶ」は14世紀の高麗末期を時代背景にしています。

高麗王朝の断末魔の時代。一部の貴族だけが裕福に暮らすが、国家機能のも破綻寸前、人々は飢えに苦しみます。

高麗将軍イソンゲは攻めよる外征、女真、契丹、倭寇と戦い、常に勝利を収まる名将軍。一度も負けたことのない100勝錬磨で、その強さは高麗の人達の希望でもあり、明るさの象徴的な存在だったのです。イバンウォンはイソンゲの5男です。

イソンゲは代々、北方地方を守る武将の家系でした。イソンゲは若いころから戦場に

て、手柄を収めている。特に弓の達人だったそうです。彼が一発矢を放つと、雁を5羽一度に仕留めたとか。。

そんな家系でしたが、イバンウォンだけが、兄弟の中で、貴族の子弟が通う学校で儒教の学問を学びます。

兄たちのように、武士でもなく、長男でもない。彼は自分がどの道に進めばいいか迷っているとき、チョンドジョンが構想する、新しい、国の建国に胸を躍らせて、その道を歩むのが大まかなあらすじです

チョンドジョンはイバンウォンの父であるイソンゲを新王にし、建国しようと動きます。

高麗王朝を存続させようとする人たちとその動き、転覆させようとする人たちとその動き、二つが激しく衝突しあいます。力と力、知恵と策略、一瞬の油断は命とりにもなります。イバンウォンは知恵と度胸、力でくぐり抜けていくのですが・・その中では高い身分ではない、一般庶民の助けもたくさん受けます。

「六龍が飛ぶ」の中で、庶民の代表としては、ムヒュルと、プ二の二人。わかりやすく話すとこの二人がイバンウォンの味方です。ずっとイバンウォンを庇い、守ってきました。

ムヒョルは、ひょんなところからイバンウォンを助けたところから出会い、護衛役に任命されます。

立身出世を夢見てたムヒュル。最高のチャンス到来。護衛役なら願ったりです。ムヒュルはイバンウォンの新しい、国作りへの夢と志に感動し、自分の夢をそこに乗せたのでした。つまり、イバンウォンという人間に惚れついていったのです。

嫌われてる~イバンウォン 

「六龍が飛ぶ」の後半になると血をみる場面が増えてきます 。

イバンウォンが天下をとるに行った行為。これがどうしても「嫌な人」になる。私は大きく2つあると思うのです。

1つ目:儒教学者:チョンモンジュに手をくだしたこと。

チョンモンジュは高麗時代からの高名な儒教学者でした。師匠であった、チョンドジョンの親友のでもあり、父イソンゲも尊敬する人物でした。

チョンドジョンもイソンゲも新しい国で王を支える「大臣」にふさわしく彼の同意なくして新国家はないとまで考えた人物です。

崔夢周は最後まで高麗王朝を再建させようとしました。そのため、崔夢周からするとイソンゲはかつての旧友ではなく、敵とみなします。お互いがいつ刃物をふるかの瀬戸際、先に下したのはイバンウォンでした。

二つ目:幼い弟に手をくだしたこと。

これはとても胸が痛い。そもそも、イソンゲは王になったあと、後継者を次男、イバンカでもなく、5男イバンウォンでもなく、幼い8男バンソクに指名。

ここが禍根の始まりでした。

世子バンソクと7男のバンボンは、イソンゲの二人目妻・康夫人の息子。イバンウォンの母韓夫人はイソンゲが王になる前に亡くなっている糟糠の妻でした。

この辺りから、ムヒュルはイバンウォンから心が離れていきます。

プ二でみる「イバンウォン」とは?

イバンウォンはプ二に恋をしてました。プ二のたくましいところに惚れたバンウォン。プ二も「そうそう死ななそう」なバンウォンに気持ちが行きます。

私が考える、この二人の関係は「同士」のような間柄です。わかりやすくいうと、絶対的危機の時代に信頼できる間柄、信頼に基づく愛なのです。

(プ二は後にバンウォンから「側室にならなかいか」という申し出を断ります)

どうしてプ二はイバンウォンの元にいかなかったのでしょか、

プ二からみたらイバンウォンとはどんな人だったのでしょうか、

冷淡なとこも知っている、人から非道と言われているのも知っています。

でも誰よりも、弱いものを守ろうとする、優しさがあり、当時の人には珍しく「上から目線」でない等身大で人間として扱って大事にしてくれる、そんな寛大なところを兼ね備えているのがイバンウォンだと。

プ二はイバンウォンを正しくみていたのではないでしょうか。また、プ二との約束も守っくれた人として生涯愛したのではないでしょうか、

 

冷淡で非道な顔ももつイバンウォンもプ二と、ムヒュル、この二人の前では正直でした。まっさらな自分をさらけだしてます。

二人を守ろうとする。約束は果たすところに、一人の人として、一人の男としてのイバンウォンがみられます。

イバンウォンの息子は?次の王は?聖君!

イバンウォンの次の王は「聖君」世宗ですね。韓国の1万W札でそのお顔は広く知られております。韓国の小学生に尊敬する歴代王を訪ねると「世宗!大王」と答えるくらいです。親しみを込めて「大王」の称号までもらっている。まさに聖君世宗。

世宗は、父 イバンウォンとは違うタイプの王ですが、その時世の間、ただの一人も王によって、死罪を命じられた人はいない、朝鮮王26代の中でそれを実行できたのは世宗ただ一人です。

その父親は誰?そう・・イバンウォンなのです。

太宗 イバンウォン「評価」史実は?

イバンウォンはの評価はいろいろです。「六龍が飛ぶ」の中にはでてきませんでしたが、イバンウォンを知るに二つのエピソードがあります。

1つ目は、父イソンゲが落馬し命をさまよっているとき行われた、チョンモンジュをもてなした宴での出来事です。チョンモンジュもイソンゲの生死が大きく左右するのを知り訪ねてきました。

その席でイバンウォンは詩を1首かわします。「何如歌」です

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しかなれば いかにあり かくなれば いかにあらん 万寿山の蔦のごと、絡み合えるもいかならん、我らも かくて、手をつなぎ、百年までも楽しまん。

(朝鮮王朝語百年 多胡吉郎署 参照)

 

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わかりやすくいうと「いがみ合ったりせず一緒に仲良くしましょう、100年先まで共にいきましょう」という意味です。

チョンモンジュは詩を受け取りこう返します

「丹心歌」です

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この身が 死して 100回も死を繰り返したと 白骨が 塵土と化し、魂があるとあるまいと 君に対する一片丹心 失せることなど ありえようか。

(朝鮮王朝五百年 多胡吉郎署 参照)

わかりやすくいいますと、この身がたとえ100回死に塵になったとしても、この魂は、君(高麗王)へ忠心を尽くす。 という意味です。

その夜・・・・善竹橋でチョンモンジュは命を落としました。

この「丹心歌」が韓国ではチョンモンジュへの評価を更に高くし、イバンウォンは反面嫌われたと考えます。

イソンゲはかろうじて命をとりとめた。チョンモンジュが亡くなったことで高麗王を守る人はいなくなったのです。

二つ目のエピソードは:時が流れた後、王になった太宗の最後の言葉です。

1422年太宗は亡くなる寸前にこう言い残します。

「私が死んで鬼となれば神々に民を助けよと請願しよう」

(朝鮮王朝五百年 多胡吉郎署 参照)

彼が息を引き取ったあとと同時に雨が降ってきた、というエピソードです。

イバンウォンは自ら鬼として生きたのでしょう。

そして、鬼となってもこの国の民を守る、と、いう意気込みが見られます。

最後の言葉にぐっとし、なんだか救われた気持ちがしたのは私だけでしょうか、

イバンウォンとは、感想

「六龍が飛ぶ」は若き日のイバンウォンを描いています。

太宗になる前を見させてくれるのが、とても面白いのです。

大抵は、初代王 太祖イソンゲの「息子」。父親を助けた息子として登場するか、もしや、4代王 世宗の前を憚る、絶大な「上王」として登場するのが関の山でしたが。

色々は俳優さんが「太宗」とイバンウォンを演じてます。

カリスマ・イバンウォン」のチャン・ヒョク(ドラマ:私の国)。

美しすぎる・イバンウォン」チェ・テジョン(ドラマ:大風水)

「太宗 イバンウォン 龍の国」ではチェ・サンウクの「人間味・イバンウォン」でした。

どのイバンウォンも個性が違って、素敵です。ユアイン演じるバンウォンは若さにあふれている点が魅力的です。

ユアインは「生意気な若造」がピッタリな俳優さんです。そういう意味でもはまっています。

最後に私が、これだけは褒めたいイバンウォンとは、この2つ。

①世宗大王の父がイバンウォンだということ。自分はどうあれ?次の王として育った、こと。最も、反面教師だった面もあるが。陰陽の役割のようです。

歴代王の中でこれほど、フルネームで呼ばれる王はイバンウォンだけです

(イサンはドラマの主題であって周囲は「正祖」と呼びますね。)

「六龍が飛ぶ」の中で父のイソンゲが「パンウォン!イノーム」!(パンウォンこのヤロー)と怒鳴るシーンが頻繁にありますね。まさに、あれです。普通の家庭であるような、父が息子をりつけるような、「パンウォン!」と口にしたくなるように名前で呼べちゃうのがいいですね。

「六龍が飛ぶ」の中でもプ二に「名前で呼んでくれないか」と頼むシーンがあります。本当は身分の違い上「トリョンニム」(若様)と呼ばないといけない。

「パンウォナ・・」(親しげにくだけた呼び方)

続けてプ二は言います。「おい!イバンウォン!」

「イ・バンウォン」

如何でしょうか、

民を守るために鬼になったイバンウォン憎まれ?親しまれ?

そんなキャラクターが魅力的なのでしょう。

これからもたくさんの「イバンウォン」が生まれるでしょう。

次が楽しみですね

ではまた💛

 

 

 

 

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