『模範タクシー』や『シグナル』などで知られる俳優イ・ジェフン。
理系の名門として知られる高麗大学に進学したものの、大学を離れ、演技の世界へ進んだ異色の経歴を持っています。
本記事では、家族との関係や幼少期の経験、学歴をたどりながら、イ・ジェフンがなぜ俳優を志し、何度も自分の進む道を選び直してきたのかを紹介します。

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イ・ジェフンはどんな人?まずプロフィール
イ・ジェフンは1984年7月4日、韓国・ソウル特別市鍾路区孝子洞で生まれました。
6歳からは京畿道議政府市で過ごしています。
身長は177cmで、ソンヒョン高等学校を卒業後は、高麗大学で生命工学を専攻していました。
しかし、演技の道を志すようになり、大学を中退。
その後、韓国芸術総合学校で演技を学びました。
2026年にはデビュー20周年を迎え、現在も映画やドラマを中心に活動を続けています。
イ・ジェフンの家族構成|父・母・姉と育った家庭
イ・ジェフンは、飲食店を営む両親と姉一人の4人家族で育ちました。
幼い頃は活発な性格だったといい、得意のダンスを始めたのも、姉について行ったダンス教室がきっかけだったそうです。
姉の影響を受けながら、家族のそばで伸び伸びと成長していったことがうかがえます。
イ・ジェフンの母親は料理が上手で、韓国料理の調理師資格も持っています。
当時家族と同居していたイ・ジェフン。2016年に番組で自宅の冷蔵庫が公開された際には、さまざまな食材や手作り料理が並び、イ・ジェフン自身も母親が料理を作ってくれることを明かしていました。
また、姉には娘と息子が2017年と2019年にそれぞれ誕生し、イ・ジェフンは叔父に。
番組では甥や姪のために買い物をするなど、「叔父さん」としての一面も見せています。
現在も両親は、イ・ジェフンの出演作を欠かさず見ているそうです。
映画なら試写会を見たあとに感想を伝え、ドラマでは放送後すぐに「来週はどうなるの?」と聞いてくるのだとか。
演技について厳しい言葉をかけられたことはなく、「本当に苦労したね」と労ってくれる両親の言葉に力をもらい、また頑張れるとイ・ジェフンは話しています。
IMF危機で変わった家族の暮らし|父が日雇い労働へ
2025年公開の映画『焼酎戦争』に関連したインタビューで、イ・ジェフンは自身の少年時代を振り返っています。
当時、両親は米屋と食堂を営み、チュオタン(ドジョウ汁)の専門店も経営していました。
イ・ジェフンも店の配達を担当するなど、アルバイトのような形で家業を手伝っていたといいます。
家族の暮らしに大きな変化が訪れたのは、1997年のIMF通貨危機の頃でした。
イ・ジェフンは当時について、「IMFの頃は中学校時代から20代初めの頃だったと記憶している」と語っています。
IMF危機を境に、父親が日雇い労働者として働きに出るようになり、その姿を見たことで「経済的に本当に厳しい時期なんだ」と実感したそうです。
大学時代には1年生の2学期の学費について父親に相談した際、父親がローンを検討していたというエピソードも明かしています。
幼い頃から身近にあった家族の商売と、そこから一転した経済的な苦労。
こうした経験は、1997年のIMF危機を背景とする『焼酎戦争』を理解するうえでも、イ・ジェフン自身の記憶と重なる部分があったようです。
同作についても、「その時代を経験した方々は『焼酎戦争』を見て呼び起こされる部分があると思う」と語っています。
高麗大学から俳優へ|大学路を経て25歳で演技を学び直すまで
イ・ジェフンが俳優を意識したのは、大学に入ってからではありませんでした。
子どもの頃から映画をよく観ていた彼は、高校3年生のとき、両親に「演劇映画科へ進みたい」と打ち明けました。
しかし両親は、成功するのは簡単ではなく、お金もかかり、助けてくれる人がいなければ難しい世界だと反対。
イ・ジェフンは高麗大学へ進学し、生命工学を専攻します。
ところが大学で授業を受けても、どこか自分にはしっくりこなかったといいます。
「自分が本当に望んでいるものは何なのか」
2012年のインタビューでは、当時を振り返り、
「工学部生だった。生命工学を専攻していた。何を望んでいるのか、自分が本当に望んでいるものは何なのか、絶えず自問していたと思う」
と語っています。
そう問い続けるなかで、子どもの頃からやってみたかった俳優という道を、一度経験してみたいと考えるようになります。
そして高麗大学を休学し、演技を学ぶために大学路へ。
アルバイトや雑用をしながらオーディションを受け、
2005年には演劇『海のツバメ』に出演。
2006年には短編映画『Truth, Litmus』で映画デビューし、
2007年にも短編映画の小さな役を重ねていきました。
当初は、1〜2年続ければ自分の演技人生にも何かが見えてくると思っていたそうです。
しかし2年、3年と経っても、自分だけが同じ場所にとどまり、周囲から取り残されているような不安を感じるようになります。
25歳で韓国芸術総合学校へ|もう一度学び直した理由
そこでイ・ジェフンは、もう一度進む道を選び直しました。
「自分のすべての考えとエネルギーを、もう一度賭けてみよう」
25歳で韓国芸術総合学校へ進学。
「最年長学生」と呼ばれながら演技を基礎から学び直します。
「学校に通うこと自体が本当に幸せだった」
と言い、課題をすべてこなそうと、睡眠時間を削るほど演技の勉強に打ち込んだといいます。
高麗大学を離れた一度の決断だけで、現在のイ・ジェフンが生まれたわけではありません。
自分に問い直し、やってみる。足りないものに気づけば、もう一度学び直す。
イ・ジェフンは何度も自分で進む道を選び直しながら、俳優への道を歩いてきたのです。
無名時代から新人賞6冠へ|若い頃のイ・ジェフン
韓国芸術総合学校で演技を学びながら、イ・ジェフンは短編映画への出演を重ねていきました。
転機となったのは、2011年の映画『番人』と『高地戦』です。
2作品での演技が高く評価され、新人賞6冠を達成。一気に映画界から注目される若手俳優となりました。
その後は『建築学概論』や『シグナル』『模範タクシー』など、映画・ドラマの両方で代表作を重ねています。
イ・ジェフンが作品ごとに違う顔を見せる理由や、独自の役作りについては、**「イ・ジェフンの魅力とは?作品ごとに違う顔を見せる理由」**で詳しく紹介しています。
現在のイ・ジェフン|俳優から経営者へ
現在も映画やドラマで俳優として活動するイ・ジェフンは、近年、作品の制作にも携わっています。
2019年には、監督のヤン・ギョンモ、プロデューサーのキム・ユギョンとともに映画制作会社「HARDCUT」を共同設立。
2021年にはマネジメント会社「COMPANY ON」を立ち上げました。
しかし、会社を経営することについて本人は決して簡単なこととして語っていません。
固定費の上昇や俳優マネジメント会社を取り巻く厳しい状況にも触れ、自分が活動していない時でも財務面・ビジョンの両方で安定した会社にしなければならないと話しています。
長く一緒に働いてきたスタッフと、これからも働き続けたい。
その一方で、社員の給料日前には「頭が真っ白になる」と語るほど、経営者としての責任も実感しているようです。
俳優として自分の道を選んできたイ・ジェフンは現在、自分だけではなく、一緒に働く人たちの未来にも責任を持つ立場になっています。
まとめ|何度も自分の道を選び直してきたイ・ジェフン
家族の商売を手伝い、IMF危機のなかで父親が日雇いで働く姿も見てきたイ・ジェフン。
両親の反対を受けて高麗大学へ進学しましたが、「自分が本当に望んでいるものは何か」と問い直し、俳優の道を選びました。
しかし、それで迷いがすべて消えたわけではありません。
大学路で経験を積んでも先が見えず、不安を感じれば、25歳で再び学校へ入り、演技を基礎から学び直しました。
自分に問い直しながら、何度も進む道を選び直す。
高麗大学を離れたのは、演技の道へ進むため。
その後、演技を学ぶために入った韓国芸術総合学校も、卒業には至りませんでした。
しかし、韓国芸術総合学校で学んだ後、イ・ジェフンは『番人』『高地戦』で新人賞6冠を獲得。
俳優としての活動は大きく広がっていきます。
自分で選び、やってみる。そして必要なら、もう一度選び直す。
その一歩一歩の積み重ねが、現在の俳優イ・ジェフンにつながっているのではないでしょうか。




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