キム・ヨングァンの生い立ち|家族を支えた少年時代とモデル時代から続く変わらぬ挑戦とは?

キム・ヨングァンは、苦労人俳優として語られることが少なくありません。

しかし彼の歩みをたどると見えてくるのは、苦労そのものではなく「続ける力」です。

父を亡くした少年時代、世界を目指したモデル時代、そして俳優としての転機。

キム・ヨングァンが何を大切にしながら歩んできたのか、その原点をたどります。

ウンスの良い日のキムヨングアン

画像提供:キムヨングアンジャパンオフィシャルサイト

 キム・ヨングァンの若い頃|家族を支えた少年時代

父を亡くした少年時代

キム・ヨングァンは多くを語らない俳優です。

インタビュー等も読んでも、作品に関することは多く語りますが、家族のことや、プライベートに関することは、口数が少ない人物と知られています

そんなキム・ヨングァンですが、2015年SBSの「ヒーリングキャンプ」という番組で言ったことがあります

「父は私が幼い頃に早く亡くなった。小学校6年生の時から質素な生活を送ってきた」

と自身の家庭事情を明かしたことがあります

キム・ヨングァンの父は、彼が12歳の時にベトナム戦争の後遺症のため亡くなりました。

それによって母子家庭となります

 家族を支えたアルバイト時代

当時彼には母と姉がいて、母が一人で生活費を稼いでいましたが徐々に家計が厳しくなり、キム・ヨングァンは少しでも母を助けたいという思いから、アルバイトをします。

小学生の時にチラシアルバイト、中学、高校生のときはガソリンスタンド、コンビニエンスストア、ガラス工場など、様々なアルバイトをして、家族の一員として、家計を支えたのです。

「いまでもはっきり覚えているのは最初の月給が29万Wだった。1日1万W稼いだ」

と言い、

当時、どれほど頑張っても月の収入は30万Wに満たなかったと、インタビューで答えています

幼いキム・ヨングァンにとって、家族を支えることは特別な決意ではなく、自然なことだったのかもしれません。

キムヨングァンの兵役

父親がベトナム戦争に参戦し、3等国家功労者と認められていたためヨングァンは社会服務要員としての兵役でした。

当時の事務所側は「静かに任務に就こうとしたが知らず知らず(キム・ヨングァンの父のこと)知れてしまった。戻ってきたら、必ず良い結果を見せます」とコメント。

2013年12月~2014年6月迄、キム・ヨングァンは6か月間の兵役を終え正式に除隊しました。


キム・ヨングァンのモデル時代|世界を目指した挑戦

 偶然のスカウトからモデルへ

高校卒業後、エージェンシーでアルバイトをするようになった

キム・ヨングァン。

それがモデル業界へと足を踏み入れるきっかけとなります。

2005年の冬、TUメディア広告サブモデルのアルバイトをしに行って、企画会社の目にたまたま留まり、スカウトされます

さらに翌年の2006年、撮影スタジオに遊びに行った際エディタの目に留まり、現場ですぐにキャスティングされ、宣材写真なども撮らずに先に雑誌モデルデビューします

また、ソウルコレクションロンカスタムのモデルでランウェイデビューも果たしています。

当時の韓国モデル界での存在感は大きく、デビューと同時に「モデル系のブルーチップ」とも呼ばれたほど注目が上がります。

そんな中、周囲からの誘いもありミラノ行きを決心します。

ここがキム・ヨングァンの最初の大きな行動の転機と言えます

 ミラノで経験した挫折と成功

しかし当時のファッション界では東洋人モデルを好まず、オーディションを見に行っても、ウォーキングをしてもポートフォリオも見ずに帰すなど、門前払いのような対応が絶えなかったといいますが、それでもキムヨングァンは諦めず、数百回のオーディションを繰り返しトライします。

そして、2008年6月、東洋人で初めてディオール・オムのショーモデルに起用され、ミラノコレクションのランウェイに立ちました。

当時最高のハイエンドブランドと呼ばれたディオール・オムは、モデルのキャスティング条件が非常に厳しいことで有名だったことが更なる話題となり、大きく評価されています。

この一連がデビューから2年で成し遂げた成果という点。

「韓国男性モデル世界初4大コレクションに進出」とマスコミで話題になりました。

それだけ、東洋人の起用が奇跡に近かったのです。

モデルとしての資質と称えますが、それはキム・ヨングァンが自分の意志で掴んだ資質と言えるでしょう

何度断られても挑戦をやめなかった経験は、後の俳優人生にも通じるキム・ヨングァンの原点だったのかもしれません。


 モデルから俳優へ|転機になった作品

 認知度を高めた『ピノキオ』

キムヨングァンは2008年、モデル活動中に「彼らが生きる世界」にキャスティングされ、俳優デビューすることになりました。

しかし当時ファッション業界で最も話題性のあるモデルを紹介されてのキャスティングと言えます。

端役だったため出演時間はわずかでした

俳優としての転機はドラマ2014年SBSドラマ「ピノキオ」です

育ちの良いお坊ちゃま記者役です

この作品でSBS演技大賞の「ニュースター賞」を受賞し、俳優としての知名度を一気に上げました。

キムヨングアンは

この「ピノキオ」でキム・ヨングァンは主演俳優としての大きな踏み台を作ります

「自分に欲を持つようにさせた作品で、過去出演した作品の中でも歴代最高級に大変だった作品。良くも悪くも、場が多く積もった作品だった」

と語っています。

ドラマがヒットしたこともあり俳優として大きな注目を浴びるようになったキム・ヨングァン。

この作品によって、さらに「やり遂げたい」という気持ちが強くなったと言います。

モデルを経て “俳優”としてのキム・ヨングァンの成長が見えます。

演技観を変えた『D-DAY』

キムヨングアンは作品『D-DAY』についてこう語ります

「僕は 惨事に見舞われた方々を治療する医師役でした。物語の内容や医師という役を通して、命についてや、様々なことを深く考えるようになったんです」

と、ここでは演技観として、見つめる力

がでてきます。

2014年~2015年の『ピノキオ』と『D-DAY』の時期はとても大切だったようで

引用:作品に対してより真剣に向き合うようになりましたし、演技に対する愛情や向上心がすごく高くなって、自分が結構変わった時期だと思います。

とあとからキム・ヨングァンは振り返っています


キム・ヨングァンが立ち止まらない理由

「誰のせいにもしない」が座右の銘

キム・ヨングアンはインタビューで影響を受けた言葉を語ったことがあります

俳優のディンゼル・ワシントンが演説で語った言葉

「僕は誰のせいにもしない。僕はただ鏡を見る」

キム・ヨングァンはその言葉が大変胸に、響いたそうです

今も携帯の待ち受け画面にその言葉を入れています。

自分は世間や人に左右されずに、常に自分を見つめて行動する。

自分の決定に自分で責任を持つってことですね。

この言葉を携帯電話の待ち受けの入れてるキムヨングァン、

起きたことは人のせいでなく、自分の責任として捉える、キムヨングァンの二つ目の原点です。

 「一生懸命働くことをやめない」

キム・ヨンクァンが人生について見つけた真実があるとすれば、

「一生懸命働かなければならないということだ。何をするにしても、それが真実だ」と言います。

彼は家で脚本を読みながら自問します

「本当に今日頑張ったのか」

「集中していないから目に留めてもらえなかったのではないか」

キム・ヨングァンにとって努力とは、人に見せるものではなく、自分自身に問い続けることなのかもしれません。

不安よりも前に進むことを選ぶ

ここまで読むと、キム・ヨングァンは人並み外れた強靭な精神の持ち主のように感じるかもしれません。

しかし本人もまた、仕事や将来への不安を抱えながら歩んできた一人でした。

 あまり、自分のことを語らないキムヨングァンですが、、ホロっと口にした言葉。

「今は以前と違って仕事がなくなったらどうするかという考えをもうやらないことにした」

とインタビューで言ったことがあります。

キムヨングァンは若い頃は、仕事が続けてもらえるかどうかの不安をずっと持っていたのです

そして、「続けることを考える」に行き着いたそうです。

そして、今の置かれて状況にについて、何をしていいかわからず、空虚な感じがすることもたまにはあるが、俳優という複数のキャラクターに出会いことで元気になっていくとも言います。

それはキムヨングァンが今まで続けてきて見つけた答えのような気がするのです。


 キム・ヨングァンの素顔

 人見知りな一面と、目標に向かう強い集中力。

一見すると正反対にも見える二つの特徴を、キム・ヨングァンは持っています。

新しい環境に身を置くときや初対面の人と会うときなどが特に発揮されるらしく、バラエティ番組に出演した際も緊張のせいで落ち着かないこともしばしば。

新しい環境に慣れるまでは時間がかかるといっています。しかし反面

やりたいと決めたことについての集中度がすごく高いことです。これをやろうと思って、本当にやり遂げたいと目標を立てたら、その為にすごく努力します。

と、対自分に対しては手厳しいのです。

そんなことから、一見クールに見られることもあるそうですが、実際は明るい性格で馴れたら発揮するそうです。☺

 モデル仲間からも信頼される存在

キム・ヨングァンはモデルアベンジャーズのメンバーでもあります。

モデルアベンジャーズとは、イ・スヒョク、キム・ウビン、ホン・ジョンヒョン、

ソンジュン※、そしてキム・ヨングァンの5人で構成されています。

彼らは同世代で、また同時期にモデルとして活動していたことから交流があり、ドラマ「ホワイトクリスマス」での共演をきっかけに親しくなりました。

メンバーの一人キム・ウビンは、モデルを夢見ていた時代のロールモデルがキム・ヨングァンだったといいます。

キムヨングァンが同世代のモデル仲間からも憧れと信頼されていたことがわかります。

そんなキム・ヨングァンは恋愛でも「相手を世話するタイプ」と語ったことがあります。

結婚観や歴代彼女については、こちらの記事で詳しく紹介しています。

👉キム・ヨングァンは結婚してる?彼女はいる?歴代熱愛と恋愛観まとめ【2026】

家で過ごす時間を大切にする

撮影が終わってもすぐ家に帰るキムヨングァン。

また一度家の掃除をして、現場に向かうほど徹底ぶりです

基本的の朝から運動、食事、、と決められてルーティンで、管理しています。

俳優をするためにも、家での過ごし方が大事にしています

「猫」と「甥っ子」世話好きな一面

キム・ヨングァンは2匹の猫を飼っています。

名前はムンイとペク。

ドラマ「トリガー」の撮影を始めたことにお迎えした猫たちで、「ムンイ」と「ペク」はキム・ヨングァンが演じたキャラクター「ムンベク」の一文字から取った名前です。

当初役柄への愛情からこの名前を付けたそうですが、猫たちを呼ぶたびにこのドラマに取り組み始めた時の期待感などを思い出すので、この名前は気に入ってるそうです。

また、余談ですが、芸能界でも「甥っ子ばか」でも知られていて、甥っ子達の写真をしたためて持ち歩いてるキム・ヨングァン。

作品への愛情を大切にするだけでなく、小さは生命を大事に世話するキムヨングァンのエピソードです☺️



 まとめ

キム・ヨングァンの人生を振り返ると順風満帆だったわけではありません。

父を亡くした少年時代、モデルとして何度も壁にぶつかった日々、俳優として将来への不安を抱えた時期もありました。

それでも彼は誰かのせいにせず、自分自身と向き合い続けてきました。

不安がなくなった人ではありません。

不安を受け止め、

それでも前を向くことを選び続けてきた人です。

そこに、俳優以前の人間らしさを感じます

だからこそキム・ヨングァンの歩みは、多くの人の心に静かに響くだけでなく

「続けることの大切さ」を静かに教えてくれているのかもしれません。

 




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