ドラマ『暴君のシェフ』で、王の母として回想シーンで登場する“廃妃尹氏(ペビユンシ)”。
彼女は実在した人物であり、実の息子がのちに「暴君」と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)です。
華やかな王宮の裏で、愛され、そして捨てられた一人の女性。
その運命が、息子の人生を狂わせていきました。
この記事では、ドラマで描かれた“暴君の母”のモデル——廃妃尹氏の生涯を、史実をもとにやさしくひもときます。
燕山君(ヨンサングン)の母・廃妃尹氏とは?
廃妃尹氏(ペビユンシ)は、朝鮮王朝第9代王・成宗(ソンジョン)の二番目の王妃であり、
第10代王・燕山君(ヨンサングン)の生母です。
彼女は「美しく控えめな女性」として知られながらも、王宮内の嫉妬と権力争いに巻き込まれ、ついには“王の顔を引っかいた罪”と罪で宮中を追い出され命を失います。
しかし、その悲劇の裏には「王を愛した女性」としての切ない真実が隠れています。
ヨンサングンの母(廃妃尹氏)の生い立ちと宮廷入り
名門だが権力に後ろ盾がない家系
廃妃尹氏の名は史料に残っていません。
名前がないのは、朝鮮王朝時代は女性に、父親の名前で「~の娘」と呼ばれるためです。
父親の名前は尹起畎(又は尹起畝)(ユン・キギョン)と。母は(申叔舟の従妹)。1445年7月17日生まれました
父は、県監を務めて、当時の公文書管理の忠心でもある「集賢殿」(チプピョンジョン)に足を運べるほど、今でいう教授のような立場の方でした。実際に彼は「高麗史」の編成の関わった一人でもあります
母は申叔舟の従弟です(申叔舟という人物はその前の世代の8代王世祖の忠臣人物です)
とりわけ名門という家系ではないものの両班家出身の家柄でしたが、父・尹起畎が若くして他界してしまったため、家計は苦しくなります。
廃妃尹氏は幼くして宮女として宮殿に入りました。
控えめで聡明な性格が評価され、やがて王の目に留まる運命をたどります。
成宗に見初められ、王妃となるまで
目鼻立ちが美しい廃妃尹氏は成宗に見初められるのです。
そうとう美人であったと推測します。
すっかり気に入ってしまった、成宗は1473年側室として迎えます。
成宗の寵愛を一身に受け、淑儀・従二品の高い位置の側室になります。
廃妃尹氏が28歳のときです。
ここから運命ががらりと変わります。
側室から王妃へ異例の出世
1474年成宗の正室恭恵王后が19歳の若さで病死してしまうのです。
2人の間には子供がいませんでした。
その空いた「王后」の席を廃妃尹氏にしたいと言ったのは成宗でした。
燕山君(ヨンサングン)の祖母・成宗の母である仁粋大妃は大反対します。
理由の一つは、廃妃尹氏が成宗より12歳年上だったこともあるのです。
息子の嫁にはもっと若い女性がいいと思ってました。
王后の話しがきたとき廃妃尹氏も「徳がなく、貧しい家で育った私にはその資格がありません」と辞退をしたのですが
成宗の見方になってきくれたのが、祖母の貞熹王后尹氏(ていきおうこう)です。
宮廷内で絶対的な権力がありました。その貞熹王后尹氏は、「徳ある女性こそ王妃にふさわしい」と後押し。
同時に、すでに廃妃尹氏は懐妊していました。
仁粋大妃も認めるしかありません。
こうして冊封され
王后となり1476年 元子(後の燕山君)を出産します。
廃妃尹氏は幸せの絶頂でした。
母を知らずに育った燕山君(ヨンサングン)
実は、燕山君(ヨンサングン)は生まれてすぐ痘瘡にかかってしまい、宮廷から出て、外で暮らしていたのです。
そのため実際は生母をよく知らず育ちました。
燕山君(ヨンサングン)は宮殿に戻ったときにはすでに生母のは廃妃されていました。
その後王后となった、3番目の王后、貞顕王后の息子として育てられたのです。
この時から奇妙な空気は始まっています。
そして、ある出来事が、燕山君(ヨンサングン)を「暴君」と決定づけうることになったのと大きくかかわってきます。
廃妃尹氏と成宗の愛の悲劇
王后となったあと、夫である成宗は以前ほど、部屋を訪ねてこなくなってきました。
あれほど、周囲の反対を押し切って妻と迎えたのですが、だんだん距離がでてきます。
王である成宗は、お酒と女性の方にはめっぽう盛んで、正式に数えられる側室だけで12人。
子供の数は28人とかなり多いです。
朝鮮王朝歴代王の中側室と子供数は一番です
その頃、寵愛を受けていたのは、貴人鄭氏と厳氏。
二人は成宗の愛を自分たちに向けようと結託します。
共通として、貧しい家出の王后であるのをよくおもっていないのも一緒でした。
二人は王の母である、仁粋大妃にありとあらゆる燕山君(ヨンサングン)の母の悪口を言います。
「龍顔を引っかいた」事件の真相
燕山君(ヨンサングン)の母も、自分の身を守るため成宗を味方につけ、その心を留めておかないといけません。
つい、きつい口調にもなったはずです。
「殿下、私と世子を陥れようとしている者がいます」
「殿下が守ってください」と、執拗に迫った。
成宗もそんな彼女がうっとおしくなりました。
側室が燕山君(ヨンサングン)の母を毒殺しようとしてるのか、燕山君(ヨンサングン)の母が側室を毒殺しようとしているのか、どっちの噂も流れてきます。
そんなとき事件が起きたのです。
成宗が、久しぶりに燕山君(ヨンサングン)の母の部屋を訪ねると、見慣れない箱があった。
開けてみたらなんと「ヒ素」と呪詛の方法が書かれた本が入っていた。
「これは何なのだ」と口調を強める成宗。二人は口論となったその時、
燕山君(ヨンサングン)の母は取り乱し、爪で、成宗の顔をひっかいてしまう。
この行為が致命傷となってしまったのです
廃妃尹氏と仁粋大妃の確執
燕山君(ヨンサングン)の祖母・成宗の母の仁粋大妃の逆鱗に触れてしまったのだ。
最初から気にならないばかりか、貴人厳氏と鄭氏からの悪い話しばかり聞いている大妃は、どうしても許すことができなかったのです。
朝鮮王朝初の離縁ーーそして
燕山君(ヨンサングン)の母は王朝では初めての離婚を言い渡されます。
朝鮮王朝は儒教の「7法乃悪」というのがあり、あてはまる妻は罪としてました。
「嫉妬心が強い」「従順でない」等です。
廃妃されたあとの燕山君(ヨンサングン)の母は、母親の申氏と質素につつましく暮らしていました。
藁葺き屋根の家で、食べ物にも困るくらいの生活だったようです。
宮中にいたときに自分の行いを恥じ、それでも、成宗のことも想い続けてていたのです。
成宗と燕山君(ヨンサングン)を想う日々
朝廷の中でのこの問題の議論は続きました。「王世子の母にそのような生活をさせてはいけない」と声が多くあがりましたが、廃妃尹氏を先導した、貴人厳氏と鄭氏と仁粋大妃側も手をこまねいていたわけではなりません。
暇さへあれば成宗に「10年以上暮らせるだけ金銀財宝をもっていった」など、成宗に耳打ちします。
成宗もまた、燕山君(ヨンサングン)の母が気になっていたのです。
内心同情も気持ちもあった成宗は宦官の安仲敬に命じて、こっそり燕山君(ヨンサングン)の母の元へ食べ物や贈り物を持たせ、様子をみにいかせたのです。
燕山君(ヨンサングン)の母と母の申氏はたいそう喜びました。恭しく、また丁寧の受けとると、
こう言い残しました
「王様におかれましては、恩極まりありません。どうか、長生きなさってください。
廃妃は遠くからいつも王様の万寿多幸をお祈りいたします」と涙を流したそうです。
安仲敬も胸が痛み王様にお伝えしようとおもったのです。
しかし、安仲敬が宮殿に戻ると、待っていたのは仁粋大妃でした。
別室に呼び出され「廃妃尹氏は毎日綺麗にお化粧をし、いつかは宮殿に戻るといいながら、いささか反省の色がないと王に報告しなさい」という内容でした。
貴人厳氏と鄭氏からの金銀財宝の賄賂も握らせたのです。
内容は「廃妃はつゆほども反省もなく、食べ物も毒が入っているといい、口にしませんでした。
綺麗にお化粧をして後日、元子(燕山君)が大きくなったら必ず宮中に戻り、正してやると豪語していました」
・・・
これで、燕山君(ヨンサングン)の母の希望の光は断絶されました。
虚偽の報告を受けた成宗は激怒します。
なされた結果が、廃妃尹氏への賜薬(毒薬)です。
安仲敬が立ち去るとき「何も心配することない」と言い残した言葉を信じ廃妃尹氏と母は、王宮からの知らせを心待ちにしていた。
まもなく、左承旨の李世佐が家まで訪ねてきたでので、飛び上がらんばまりに嬉しくて玄関までお迎えしたのでした。
そこで出されたのは賜薬入りのお椀と、みすぼらしい茣蓙。
それが何の意味をさすのか・・廃妃尹氏は顔色を失いました。
だが、しばらくして、覚悟を決め御命を受けます。
「白い絹織りのチョクサムが血で赤く染まった」
という有名な逸話がこの場面です。
1482年8月29日 この世を去りました。
燕山君(ヨンサングン)の母・廃妃尹氏の最期の言葉
最後どのような言葉を残したのでしょうか、
一説は「恨みを晴らして欲しい」と母に言葉を残したとあります。
実際には“無念”と“息子を想う気持ち”を母に託したとされています。
最期の言葉は息子燕山君(ヨンサングン)の事を気遣っています
「元子(燕山君)にはどうか無事であることを願い、王になった暁にはその行列が見られるとこに葬って欲しい」
※morejenn意訳(王妃たちの朝鮮王朝参照)
最後に出たことばは成宗への恨みではなく、燕山君を気遣う母の愛の言葉でした。
燕山君(ヨンサングン)の心の砦「母の死」
この事件によって燕山君(ヨンサングン)は「甲子士禍」(カプチャサファ)を引き起こします。
母の無念を晴らそうとした青年は、やがて“暴君”と呼ばれるようになったのです。
燕山君(ヨンサングン)に関するよくある質問FAQ
Q燕山君(ヨンサングン)が生母を知ったのはいつですか?
1480年以降、王になった後です。それまでは成宗の3番目の后貞顕王后を実の母と思っていました。
Q燕山君(ヨンサングン)はどうして王になれたのですか?
曾祖母の貞熹王后尹氏の力です。廃妃尹氏への同情と贖罪の気持ちから、曾祖母の貞熹王后が燕山君(ヨンサングン)を王に立てるよう尽力しました。
まとめ
燕山君の母・廃妃尹氏の人生は、愛と権力、そして誤解に翻弄された悲劇でした。
「爪で顔を引っかいた」という一件が全てではなく、
廃妃尹氏の出自の弱さや、王宮内の派閥の影響も大きく関係しています。
もし彼女がもっと穏やかな環境で愛されていたら、燕山君の運命も違っていたのかもしれません。
【暴君のシェフ】キャスト記事はこちらです
↓↓↓
イチェミン本当の身長は?熱愛の公開彼女はリュダイン?性格&プロフィール全公開!
チェ・グィファ【暴君のシェフ】結婚・妻との物語。悪役なのに一途な愛妻家
イ ジュアン【暴君のシェフ】俳優はどんな人?年齢・身長・性格・プロフィール全網羅
ソ イスク【暴君のシェフ】結婚しなかった理由と年齢・プロフィール。遅咲き俳優の全盛期
少女時代ユナの結婚相手は秘密?熱愛・歴代彼氏・好きなタイプ&人気理由を深堀
カン ハンナ結婚・恋愛・熱愛願望は?「ずっとソロだった」発言と素顔の全て
コメント